503:鬼女まとめ 2009/12/10(木) 21:24 ID:Jw7O7JKk
以前勤めていた会社で、どうみても双子な赤の他人がいた。
よくよく見ると確かに違うんだが、小麦粉と片栗粉レベル。
部署も違うしフロアも広いから、互いに鉢会う事はなかったようだが、
何人かは「あれ?小麦粉さっき外回り行かなかったっけ…?」等と疑問を抱いた事はあったようだ。
んで遂に互いに鉢会ってしまい、当人同士は勿論、周囲も唖然。時が止まった。
気味悪がって疎遠になるかと思ったが、当人同士は意気投合して無二の親友同士に。
曾祖父まで遡っても、互いの家に接点はなかったようだ。
小麦粉が九州で片栗粉が北陸。
小麦粉が九州で片栗粉が北陸。
実際、当人以外に似てる家族はいなかったようだし。
んで、親しくなってついでに何かの回線まで繋がったのか、徐々にシンパシーまで開花。
世の中には似た人間が3人いるとかいうけど、あそこまで似たやついるんだな。
512:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 05:37 ID:S3Yl7r3f
>>503
それに似た話で、実は双生児の片割れが養子に出ていたって話をテレビで見たことがある
俺の右手の親指の根本には物心付いた頃から出っ張りのようなものがあったんだ。
それが当たり前だったから自分では気にしてなかったんだけど、
小学校で「それ何?」って言われて、気になって親に何なのか聞いてみた。
そうしたら「犬にかまれて縫った痕だよ」って教えてもらって、
その頃自分が犬を嫌っていたから「ああ、そのトラウマで犬が嫌いになったんだ」って納得した。
で、中学3年になった頃、右手の親指が変な方向に曲がることに気づいた。
友達とか親にそれを見せたりして、
「何でだろうねぇ」という感じの答えを期待して、
「何でだろうねぇ」という感じの答えを期待して、
「なんで曲がるんだろうねぇ」って言ってみた。
そしたら「実はあんた6本指だったのよ」って教えられて衝撃。
右手親指の付け根にもう一本指が生えていて、しっかり動いて掴んだりもできたらしい。
右手にある出っ張りはその名残で、骨がしっかりしたら手術して、切除する予定だったみたい。
小学校の頃にはぐらかしたのは小学校で考えなしにばらして、虐められたりすることを心配してのことらしい。
とはいっても小学校中学校高校と、高1の1学年以外は友達にも恵まれて、いじめとかも何もない学校生活を送れたけれど。
何故出っ張りを切除しなかったのかは聞かなかったけれど、今はその名残があることがなんだか嬉しい。
会話のネタにもなるし。
516:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 07:53 ID:GbFpv/Rk
>>512
豊臣秀吉も6本指だったらしい。
映画「覇王別姫」の主人公も6本指だったけど母親にきられる
513:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 06:46 ID:0YV8vbtj
>>512
>それに似た話で、実は双生児の片割れが養子に出ていたって話をテレビで見たことがある
これってマナカナの朝の連続テレビ小説じゃない?
514:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 07:09 ID:q6H1LRjh
>>513
昔はけっこうあたりまえに行われていたんだよ。
双子(にかぎらないが)は「畜生腹」と忌み嫌われていたから、
「最初からいなかったことにすればよし」みたいな感覚が存在した。
515:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 07:47 ID:0YV8vbtj
>>514
双子が畜生腹として忌み嫌われたってのは俗説で宮家や天皇家、高位の武家でも双子の記録があって忌み嫌われたりしてないよ。
昭和天皇に双子の妹が居たってのも違う。
家督を継ぐ際に面倒にならないように双子の片方を出したり、貧しい家庭だと一度に二人も生まれたら栄養が足りないとか、経済的に厳しいので養子に出したり捨て子にしたのが歪曲して俗説になっていったわけ。
昔は長子以外の男子はすべて養子に出すって家もあったくらいで
双子は禁忌だから養子に出されたことじゃないよ。
俗説を信じて嫁いびりやイジメをする人はいるだろうけどね。
520:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 08:46 ID:rIxjsrR7
>>515
俺のまわりでは、けっこう「腫れ物あつかい」だったよ。昔ね。
522:鬼女まとめ 2009/12/11(金) 09:36 ID:mxrkY+06
>515
うちの近所で昭和30年代に双子が生まれたときに一人は物置に入れて何もあげずに母親が赤ん坊ひとりをなくさせたことがあった。
赤ん坊の祖父がかわいそうがってミルクを運んだけれど結局育てきれずになくなったらしい。
当時は警察沙汰にもならず黙認されていたけれど。
あの女はひどいということで、うわさにはなった。
地区に双子はいたので、多分多くは頃しはしないけれど生まれたときは喜ばれもしないという状態だったと思う。
もちろん、わたしの年代だとかわいがられて育った双子が多いけれど
コメント
コメント一覧 (39)
kijyokatu
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おばちゃんは昭和30年代生まれだけど、親戚のおねえさんに双子がいたのと、小中学の200人弱の同学年に双子が3組いたよ。
1年の時は見分けがつかないぐらいそっくりなのが、卒業するまでに少しずつ雰囲気が似なくなって区別がつくようになってた。
おねえさんたちも同級生も畜生腹なんて言われてなかったし、私服はおそろいの服を着ていて可愛い可愛い言われてたものだ。
522みたいな事実があれば、いくらなんでも警察沙汰になってると思うわ。
kijyokatu
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kijyokatu
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kijyokatu
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庶民だとわりとその俗説に振り回された人多いんじゃないかな。
kijyokatu
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双子なんて、その可愛さたるや2倍どころじゃなくて4倍だよ
確かに世話は大変だけど
その可愛さを堪能できる現代に生きていて
本当によかったと思う
kijyokatu
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しかし昔のドラマのナイトヘッドみたいに互いに戦う運命だったりしたら不謹慎だけどワクワクするかも
kijyokatu
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kijyokatu
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リコーダーが指三本で使うためにパーツがついてて、それがかっこよくて音楽の時間はヒーローになってたw
kijyokatu
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90過ぎのばあちゃん双子だし親戚にも二組いるけど苦労話は聞かない
双子だからってより親がイカれてた可能性もあるよね
村中で双子を排除してたとかなら土地柄もあるかもしれないけど
kijyokatu
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そうした差別の有る無しは家柄や出自によるんじゃない?
私は個人的には双子は好きだけど、たまに畜生腹呼ばわりが頭をよぎる
kijyokatu
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kijyokatu
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初めて鉢合わせした時はお互いに固まってたわ
年が二つ離れてたけど
kijyokatu
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kijyokatu
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親せき内でやり取りしたみたいだけど、もらった方のお母さんが
「自分の子も出来たけど、オロしたの。養子と差別しないように」と近所に喋り散らかしてたのが不快だった
絶対養子の耳に入るじゃん、って
結局養父母は要介護になったら養子に介護してもらえず施設に叩き込まれてた
色々あったんだろうね
kijyokatu
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お前らが作文をやめられないのは創作はしたいけど絵も描けないし、cgもプログラミングもカメラも勉強したくないだけなんだよな。
なんでボンクラでも真面目に勉強しようとしてんのに、お前らは文章を真剣に研究しないの?流行りを作ろうとすんなよ。できたとしてもそれに後追いすんなよ。
kijyokatu
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双子は昔は後から生まれた方が兄姉だったらしいね。
先に出来てたとかいう理由らしいが。
帝王切開だったらどっちを先に取り上げたとか運次第じゃないのかなー?
kijyokatu
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その下にも子供作ったのに何故だったんだろ
kijyokatu
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当時散々に言われたらしい。
kijyokatu
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kijyokatu
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双子の一人で、もう一人は両親と暮らしている。
時々、遊びに来て仲もよさそうだったけど、どうしてその子だけ預けられたのかは知らない
学校にはふつうに双子の男の子もいたんだけどね
kijyokatu
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私が不思議そうな顔すると「あれ?違う…?」「すみません」って言いながらお辞儀して去っていく
何度も経験してるから怖いけど一度でいいから会ってみたいなあ
kijyokatu
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また、まとめタイトル詐欺かよ
kijyokatu
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kijyokatu
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時代や地方や身分で文化は違うんだから。
二人一度に育てられないから、間引きしたり里子に出す言い訳にしたのかもしれない。
里子に出すことは今より一般的だったし、
養子を欲しがる家は今より多かったから、
双子だと「ちょうどいい」と養子にもらいやすかっただろう
kijyokatu
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デビュー当時の本田美奈子と工藤夕貴「せやろか?」
kijyokatu
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522のような悲惨なことにはならなかったが、勤めた学校に名字の違う同じ顔の女子児童がいたそうだ。
実家でお産したは良いがもうひとり出てきたことを恥じ、婚家に連れて行くわけにはいかないと産婦はもうひとりを実家に置き去り。
結果実家の父親がその孫の世話をしたとのこと。
なぜなら祖母である産婦の母は家督夫婦に遠慮して畜生腹の孫の世話をするのは憚られたから。
さすがに家長(うちの方はお館と呼ばれる)のすることに、息子夫婦も文句はつけまいってことで祖父がおむつを洗うこと、授乳(ミルク)から一切の世話をしたそうだ。
長じて、婚家に連れて行かれた子は進学、実家に置いて来られた子は、当然中卒。
昭和30年代北東北でのお話。
kijyokatu
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kijyokatu
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